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マーケティングの力で「脱炭素」の新時代を創りたい。ドコモJVでモバイル広告黎明期を駆け抜けたマーケティング本部長の次なる挑戦とは

こんにちは!レジルnote編集部です!
レジルは「脱炭素を、難問にしない」をミッションに、社会課題解決に挑戦するクライメートテックカンパニーです。

各マガジンでは、レジルで働くお仕事内容や取り組み、働く仲間を紹介してきました。
今回は新しく「マーケマガジン」を新設し、23年12月より立ち上がったマーケティング本部のメンバー、お仕事内容について熱く語っていただきます。(2024年9月末時点の情報)

第一弾はマーケティング本部長の三石(みついし)さんです。
iモードに衝撃を受け、世界初のモバイル広告の誕生からマーケティング・事業開発に携わってきた三石さん。NTTドコモ、電通、博報堂のジョイントベンチャーを中心に、苦しみながらも壁を乗り越え、数多くの成果を上げてきました。これまでのキャリアの軌跡や仕事で大切にしてきたこと、そして、今、レジルで目指していることを伺いました。

プロフィール

レジル株式会社
執行役員 マーケティング本部長

三石 剛由(みついし たかよし)

1999年4月、新卒でNECに入社。携帯電話の商品企画に携わる。2001年にNTTドコモと電通のジョイントベンチャーD2Cに転職。営業部門の立ち上げ、担当部長、営業企画部長、事業開発部長などを歴任。NTTドコモに出向し、「dポイント」を活用したマーケティングサービスを立ち上げた。2019年、NTTドコモと博報堂のジョイントベンチャーDearOneに、取締役CMOとして参画。新規事業の営業・マーケティングを統括した後、2023年12月にレジルにジョイン。執行役員 マーケティング本部長として、マーケティング部門を立ち上げ、事業のグロースを牽引している。休日は「Netflix」の韓国ドラマ鑑賞やキャンプ、サウナにハマっている。

西表島に家族で旅行した際の1コマ(年に2回はご家族で長期休暇を楽しまれているそうです!!)

インターネット黎明期にNECへ。競争の激しいコンシューマ製品で販促とサービス企画の基礎を学ぶ

-ファーストキャリアがNECですが、そこまでの軌跡を教えてください。

大学ではアルバイトに没頭する日々を過ごし、コンビニの店員や警備員、引越屋など、あらゆる仕事を経験しました。お客さんとのコミュニケーションが得意だと気づき、その強みを活かせそうな企業を就職活動では志望したのです。金融や消費財メーカーからも内定をいただいていたのですが、NECに入社しました。父親が製造業に勤めていて、「日本の基幹産業はものづくりだ!」と刷り込まれていたこともあり、パソコンや半導体、通信分野でそれぞれ世界シェアのトップ5に位置しマルチメディア時代を牽引していたNECに入社を決めたのです。

NECに入社したのは1999年4月。その2ヶ月前にiモードが世に出ました。携帯電話からインターネットに接続できるようになったのがこのタイミングです。私もNEC製の携帯電話「N501i」を購入して、iモードに初めて触れたときに、「これは世の中が変わるかも知れない!」と驚いたのを覚えています。

NECでは、携帯電話にどうしても関わりたかった。コンシューマ向け事業の成長分野において、ライバルとの競争の中で自分のアイデアと行動力がどこまで通用するか、全力で挑戦し多くの生活者の豊かさに貢献したいなと。そこで配属面談で、気合いのプレゼンテーションを行いました。本部長クラスの偉い人の前で、自分の想いを熱量込めて説明し「ぜひ、携帯電話事業への配属をお願いします!!」と。熱意が伝わったのか、希望が叶ったのです。


客先から帰社する電車の中で、運命の中吊り広告が目に飛び込んできた

-NECではどのような仕事を手掛けたのでしょうか?

J-PHONE(当時)を担当するチームにジョインしました。他のキャリア担当よりも規模が小さい組織ということもあり、裁量権の大きい環境でした。インターネット関連のサービスに関わりたかったので、端末から直接つながる公式サイトをローンチしたり、課金コンテンツを自ら考案して展開しました。NECの端末は一定のシェアを獲得していたので、大きなトラフィックが生まれ、メーカーの立ち位置でのファンづくりと製品の差別化に挑んでいました。

ただ、事業を立ち上げる面白さを知る一方で、若手社員が任せられる仕事の大きさには限界があることを感じるようにもなりました。無限の可能性のあるモバイルインターネットの領域で、もっとうねりを起こすような仕事をしたい。荒波に飲まれて、溺れてしまってもいい。今しかない。そのような熱望に駆られながら、顧客先から帰社する際の電車の中で、ある中吊り広告が目に飛び込んできました。

「ドコモと電通が、世界初のモバイル広告会社を立ち上げ!創業メンバーを募集!株式会社ディーツーコミュニケーションズ」

背筋に電流が走ったのを覚えています。次の日から出張だったのですが、移動中に一気に履歴書を書いて、勢いで応募しました。そして2001年2月、12人目の社員として入社することになったのです。

モバイル広告の黎明期。ボロボロになりながら成果を生み出し、3年で営業担当部長に

-ディーツーコミュニケーションズ(現:D2C)の創設期にジョインして、どのような仕事を担当しましたか?

ドコモと電通の合弁企業ですから、立ち上げ時とはいえ、商材や営業先が整っていると思っていたら、ほぼゼロから積み上げていかなければならない状態(笑)。たった4人の営業部だったのですが、とにかくモバイル広告を売りまくりました。

私の社会人としての基本的なスキルやスタンスが形成されたのは、間違いなくこのタイミングです。黎明期の市場で、そして生まれたばかりの会社で、もがき苦しみました。「営業とは?」「提案とは?」といった根源的な命題を、先輩から徹底的にたたきつけられました。当時は20代半ばだったのですが、体力と気力だけを頼りに、とにかく成果を上げるために駆けずり回りましたね。

たとえば、企業の窓口に営業電話を掛けまくっては、そのほとんどに断られました。顧客に売れないなら、電通の営業スタッフに営業を掛けようと、各営業局を行脚して、モバイル広告のメリットを説いて回りました。TVやラジオ、雑誌広告の提案の中にモバイル広告を入れてもらうことで、何とか受注できないかと。当時は、イントラネットもなく、紙の社内名簿しかなかったので、キーマンを探すのに苦労したのを覚えています。名簿がボロボロになるまで片っ端から電話をかけて社内への売り込みを続けました。

トラブルも多かったですね。見積書の金額を間違えたり、誤った広告枠に掲載したり、広告の配信事故が起こったり。その都度、先輩社員に厳しい指導をいただきながら、少しずつ成果を出せるようになりました。ビジネスパーソンとして非常にタフになったと思います。D2Cに入社して3年後、27歳で営業担当部長に就任。チームのマネジメントをすることになったのです。

ドコモとデータ利活用ビジネスを立ち上げ。「dポイント」が生まれて急拡大

-その後、D2Cでは、どのようなキャリアを重ねてこられたのですか?

現場の営業職としてのキャリアにひとつの区切りを感じて、営業企画部を立ち上げました。セールスの仕組み化や後輩の指導に尽力することで、スキルの幅が広がったと感じています。その頃から戦略業務に関わる仕事が増えて、執行会議のファシリテーターを務めたり、営業戦略の立案などにも携わるように。ただ、そう上手くいくはずもなく、会社は急成長を続けていたので、「成長痛」があちこちで発生していて、その問題をなかなか解決できず、色々な角度のプレッシャーを感じながら過ごす日々でした。現場の営業職時代に原理原則を問われ続け、さらに事業執行メンバーとしても幹部から厳しい要求を突きつけられ、鍛えられました。その後のキャリアでは何が起こっても動じなくなりましたね(笑)。

営業部門のグロースに一区切りがついた後、ドコモ側に入り込みながら事業開発に携わりました。目を付けたのが、ドコモユーザーのデータの利活用です。膨大なデータを活用して、外部のクライアント企業の事業成長をドライブするビジネスを立ち上げました。その後、「dポイント」が生まれて、ポイントを軸に大手コンビニ、デパート、飲食店に送客するビジネスへと進化したのです。圧倒的な数のユーザーとの接点を持っていることが強みで、支援領域も拡大。BizDevチーム、分析チーム、開発チーム 総勢30名までに成長しました。

ドコモと博報堂の合弁会社に転職。「0→1」と「1→10」のフェーズを3年で駆け抜けた

-そして、長きにわたって在籍した、D2Cを退職します。

モバイル広告の黎明期から、ポイントビジネスの成長まで、D2Cでは18年間を走り抜けました。この時点で、自分のやるべきことはやり切ったと感じて、新たな道を模索したのです。

次の職場に選んだのは、ドコモと博報堂のJVのDearOne(当時の社名はロケーションバリュー)です。SaaSでCRMサービスを提供する会社なのですが、当時はSaaSがブームで、改めてマーケティング手法としてCRMにも興味もありました。入社前からアナリティクス領域の新規事業を起案し挑戦することを持ちかけた結果、「よしやろう!」となり、取締役として自らが起案した新規事業の立ち上げをすることになりました。入社直後は体制づくり、業務プロセスづくり、サービスの拡販などが私のミッションだったのですが、正直、最初はあまり上手く行かなかった。他社サービスより高額で、使う側にもリテラシーが要求されたので、DXが遅れている日本ではUSのSaaSの業務プロセスを真似るだけではグロースが難しかったのです。そこで、方針を大きく転換。私が先陣を切って、大企業に対して営業を一気に掛けました。商談がある程度まとまると、メンバーに渡していくフローを確立することで、少しずつ勝ちパターンが見えてきたのです。「0→1」と「1→10」のフェーズを3年で駆け抜け、メドが付いた段階でその後のグロースは託して、取締役を退任しました。

執行役員マーケティング本部長として、レジルにジョイン。「大義」と「仲間」を求めて

-DearOneを退職後に、レジルに入社します。その経緯を教えてください。

40代も半ばを過ぎ、仕事への考え方も変化していきました。クライアント支援側で猪突猛進で成果を追求する形から、これまでの経験を下敷きにエンド顧客との継続的な関係づくりをしながら、ビジネスを成長させていく事業会社側での業務への渇望がありました。

2022年7月にDearOneを退職して、ブランド品などのリユースを手掛ける上場企業に、執行役員CRM本部長としてジョインして顧客起点のサービス運営に注力しました。そして2023年12月、レジルに執行役員 マーケティング本部長として入社したのです。その理由は2つ。「大義」と「仲間」です。レジルは「脱炭素を、難問にしない」というミッションを掲げています。「脱炭素」というテーマはこの社会で最も重要なテーマの一つであり、「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と、政府が長期的なKPIを設定している珍しい領域です。私がこれまでに培ったスキルと経験の全てを注入し、この難問を解決するプロセスを楽しんでみたい。そう考えたのです。

もう1つ。レジルの「仲間」にも、大きな魅力を感じました。私の上司でもある社長の丹治さんと、入社前のカジュアル面談で複数回、自分が納得できるまで会話させてもらいました。丹治さんはいわゆる「プロ経営者」で、企業の成長の阻害要因を取り除き、成長を導くターンアラウンドが得意技です。経営における情と理のバランスも、素晴らしいと感じました。

丹治さんにはこう言われました。

「私は事業を黒字にすることはできるが、マーケティングの力で事業をより大きくしていく経験はしていない。第二創業期を迎え、市場もビジネスも拡大していくポテンシャルがあるレジルには、三石さんが経験してきたマーケティングの力が必要です。培ってきた経験とリーダーシップで、レジルを飛躍させるために力を貸してくれませんか」

と、面と向かって語っていただき、何と言うか、ビビっときたのです。笑
即決で入社を決意しました。

丹治さんだけではなく、幹部メンバーとも面談を通して波長を確認しました。主力事業を牽引する本部長の村田佑介さんと石井大地さんとも面談を重ね、同じベクトルでスピード感を持って共に前へ向かっていけると感じました。

「誰と、何に挑むのか?」というシンプルな問いに対し、もう心配事はなくなりました。
ご縁あって、新たなスタートラインに立つことができたのです。

ビジネス推進、ブランド戦略、アライアンス。3つのチームを創設

-レジルに入社後、どのような仕事を手掛けましたか?

私の入社と同時にマーケティング本部が設立されました。「分散型エネルギー」事業と「グリーンエネルギー」事業を担当するとても誠実な2人のジェネラルマネージャーが兼務してくれて、引き継ぎを受けながら、ともに組織の基盤を構築しました。ミッションと業務の整理と並行し、レジルのビジネスモデルに吸い寄せられるように続々と凄腕の経歴をもつジェネラルマネージャー3名がジョインしてきてくれました。入社直後には想像すらできなかったスピード感で組織が立ち上がりました。

私たちのチームのミッションは、各事業部と密に関わり合いながら事業のグロースを加速させる一助となること。ブランド戦略とアライアンス活動により企業価値の向上と領域拡大を進めています。
デジタルマーケティングのスキルを駆使してリードを創出する「ビジネス推進グループ」、より多くのステークホルダーへの周知を進めてレジルのブランドを確立する「ブランド広報戦略グループ」、他社と協創し新しい価値を生み出す「アライアンスグループ」の3つのグループをつくりました。それぞれのチームが密接に連携しながら活動を本格化させていきます。

30年間の蓄積をベースに、次の時代をつくる仕事

-レジルでの仕事に、どのようなやりがいを感じていますか?

事業会社で当事者として腰を据えて活動できるマーケティングの仕事は、やはり楽しいですね。BtoCでも、BtoBでも、お客さまとしっかりと対峙することで見えてくるものが多い。そして、マーケティングの成否が事業成長に直結するので、手応えも大きい。中でもレジルのマーケティング活動は、機会の宝庫だと思いますね。誰も扱ったことのない「脱炭素」に向けたサービスを、誰もやったことのない手法で広めようとしている。目標も指標づくりも自分たち次第。マーケティングに留まらず、プロダクトサイドと連携しながら、自分の行動次第で新規事業開発にも挑戦ができる。前提として既存事業の確固たる収益基盤が活用できる。30年前から蓄積してきたものをベースに、次の時代をつくる。このタイミングでレジルにジョインすることで、刺激の溢れた毎日を過ごすことができますし、多くのことを学べるのは間違いありません。

中期視野の成長を狙うために、自社の体制強化と企業とのコラボレーションの強化も重要なテーマです。多様性のあるメンバーが集い、フラットに連携しながら課題を解決できる組織をつくりたい。一人ひとりが持ち味を発揮できる環境であり、自立した優秀なメンバーが揃っています。副業も大歓迎ですので、自由な環境で思い切り力を発揮したい方は、ぜひ、ご連絡ください。

世の中を変えることと、レジルの成長が密接に結びついている

-最後に、三石さんの今後のキャリアについて聞かせてください。

まずは、数年を掛けて「脱炭素」事業をしっかりと形にしたいですね。この大義を果たすためにレジルに入社しました。事業収益に貢献するだけでなく、アライアンスやブランディングの推進を通じて、社会に対する啓蒙活動も進めていきたい。世の中を変えていくことと、レジルの成長が密接に結びついているので、その双方にコミットします。

加えて、副業として、ベンチャー企業のアドバイザーを務めているので、それぞれの企業も成功に導きたいです。社会貢献性の高い会社が多く、レジルでの学びや気付きを還元することができる。様々な領域での社会貢献を果たすことが、私自身のミッションだと捉えています。

そして、その後は現場から離れて、後進の指導にコミットしたいと考えています。営業やアライアンスのスキルは体系化されていなく、属人的に学ぶしかない。この状況は、非常にもったいないと捉えています。ドコモ、電通、博報堂、そしてレジル。それぞれで培ってきたノウハウを体系化して、成長を渇望する営業パーソンに伝えていくことで、社会を前に進めることに貢献できるはず。レジルの「脱炭素」のミッションも、多くの後進を育てていくことも、次の社会をより良くしていくこと、持続可能な社会をつくることにつながっています。今の時代のバトンを次に渡す。それが自分自身の使命でもあり、やりたいことだと感じています。